和歌山県の秘境駅ツーリング
27日(木)は仕事休みなので登山へ行こうかと悩みましたが、最近は仕事で1日約10㎞は歩いているので、今回は山歩きではなく、久々にツーリングへ行くことにした。
鉄オタでも無いのになぜ秘境駅?
仕事で奈良の無人駅を何度か利用しているうちに無人駅や秘境駅に段々興味が湧いてきてネットで調べると和歌山県に秘境駅があるそうです。その駅とは南海高野線「紀伊神谷駅」です。終点の極楽橋駅の1つ手前の駅です。
帰りは大阪市内にある秘境駅にも立ち寄る秘境ツーリングです。
紀伊神谷駅までのルート

このルートだと自宅からほぼ1直線に南下し紀伊神谷駅へ行けますね。自宅から53.8㎞って割と近いです。
今日はかなり暖かくなるので絶好のツーリング日和です。
丹生川に架かる赤瀬橋からスタート!
橋本市から紀の川フルートラインを走り、途中からR370方面へ。丹生川に架かる赤瀬橋を渡ったところからスタートします。この道は地図で見る限り国道、県道の表記はありません。
和旅チャンネルさんを観るとスーパー林道と紹介されていました。なので僕も以後、スーパー林道と呼ばせていただきます。

登って行くハズなので右が正解かと思いがちですが、ここは左(黄色矢印)の方向へ進みます。

しばらくは離合も可能な道ですが、ある程度登って行くと民家がある。民家のところではかなり狭いので引き返して国道を走った方が賢明です。軽四でもギリギリの道です。

結構な急坂を登って行くと雪が残っていた。125㏄の原2バイクだとこの坂は結構キツイかも。登れないことは無ないが絶対グイグイ登ることな無いでしょう。

林道に設置されていた案内板。紀伊神谷駅まで2本のショートカット出来る道(青矢印)がありますが、車で行くには少し遠回りになりますが、赤矢印のルートが安全に通行できるルートみたいです。
旧白藤小学校横の道はかなり急坂だったので雪が残ってたりしたら下ることも登ることも出来ない。安全に赤矢印のルートで紀伊神谷駅へ向かうことにした。

林道は広いところもありますが基本的には狭路です。特に民家が並んでいるところは極端に狭くなる。
日本最後の高野の仇討ち

明治4年(1871年)2月30日に、この地で仇討ちがあり、「日本最後の高野の仇討ち」とも「神谷(かみや)の仇討ち」ともいわれている。復讐劇の起こりは、9年前の文久2年(1862年)の赤穂藩内の争いである。赤穂藩主・森家の家督争いが原因で、赤穂藩老・執政の森主税(ちから)と参政の村上真輔が、尊王攘夷派の藩士、吉田、西川ら13人に暗殺された。その後、藩内の勢力争いも絡んで、村上一族が閉門追放され、遺児らはこのため仇討ちの決心を固めたと言われている。襲撃した吉田らは脱藩し、長州藩に身を寄せていたが、長州藩は吉田ら7名に赤穂藩への帰参を命じた。赤穂藩は、吉田、西川らの処置に困り、高野山に登って歴代藩主の廟所と高野山釈迦文院の守り役を命じた。殺生禁断の高野山に入山させれば、村上一族の復讐から逃れられると判断したといわれる。村上一族は、復讐の決意を固め、仇討ち事件の当日朝、河根宿の本陣・中屋に泊まり、吉田、西川たちを待ち伏せした。そして村上方7名が、吉田方7名を討ち、本懐を遂げて、直轄の五條県庁に自首した。そして、この事件が直接の原因で、明治6年2月に太政官布告によって「仇討ち禁止令」が出された。村上方の処罰は、一審で全員死罪となったが最終的に「禁固10年」又は「准流10年」の判決となった。
この案内板がある場所がその現場だったそうです。
日本最後の仇討ちの墓所

先程の現場(案内板)より500mほど進んだ場所に討たれた7人を供養する墓がある。

墓は6つですが7名の名前が刻まれている。

標高をあげると日陰のところでは雪が多く残っている。本当にこんな山奥に駅があるんかいな💦

民家が出てきました。民家があるので数台の車とすれ違いました。

マップでは駅はすぐ近くなんですが・・・💦
この先に登山口があるなら普通ですが、この先に駅があるような道に見えません。
南海高野線「紀伊神谷駅」

突如現れた南海高野線の秘境駅「紀伊神谷駅」に到着!
1日の乗降人員は8人(2023年)です。高野線の駅(42駅)で、また南海電鉄の駅(100駅)では乗降人員が最も少ないそうです。
1928年(昭和3年)に神谷駅として開業。その時はこの駅が終着駅だったそうです。翌年1929年(昭和4年)に極楽橋駅が開業に伴い終着駅から中間駅となる。
1930年(昭和5年)に紀伊神谷駅に改称された。

駅舎に入ると左手にトイレがある。ぼっとん便所ですが臭いも無く綺麗なトイレです。

右側には謎のロッカー。コインロッカーでは無く、名前の書いてあるMYロッカーがある。

自動券売機が設置されておらず乗車券は窓口でも発売していない(2023年以降は無人駅)窓口で乗車駅証明書を受け取り、下車駅で精算する。2017年にICカード対応の改札口が設置されたそうだ。

トイレ横の沢?の水もとても綺麗だ。

紀伊神谷駅の標高は473mです。+6mの誤差は許容範囲ですな。

踏切の方へ歩いて行くと、ちょうど極楽橋行きの電車が紀伊神谷駅に到着した。
扉は開くが誰も乗り降りしないw

誰も乗せることなく出発した。すごいキィキィ音が鳴り響いていた。それだけカーブが強いんでしょうね。
電車が出発するとまた静寂がおとずれ鳥の鳴き声しか聞こえなくなった。

踏切から紀伊神谷駅方向を見る。

これって電車の勾配を表す標識ですよね?50ってどれくらいなの??
勾配(=傾斜)を示す単位。1000分率のことで、鉄道では勾配が変化する箇所に勾配表を用い、1000m進むと何m昇降するかを表しています。
50‰の昇り勾配表は、水平に1000m進む間に50m昇る勾配を表します。

逆光でしたが、せっかくなのでバイクと駅舎を撮影。

綺麗に乗るために毎日面倒ですがシートをかけています。が、それがアダになってしまった・・・😢

何で当てても無いのに塗装が剥げてるんだ?よく考えたらこれってシートが風で擦れて剥がれたみたい。
バイクを保護するためにシートカバーをしていたのに逆に痛めてしまっていた😢

40分ほど紀伊神谷駅に滞在していましたが、その間は誰も来ませんでした。ホンマに1日8人も乗降あるんか?
腹も減ったので九度山駅の方へ下山します。
旧白藤小学校(Coffeeしらふじ)

2008年に廃校となった高野町立白藤小学校をリノベーションして現在は「Coffeeしらふじ」(土・日・祝営業)という廃校カフェになっています。

雪がいい感じに積もっている場所があった。

乗って出そうとしたらおもしろいほど空転してまったく出れないw
雪とフォルツァはこれが最初で最後だろうな。たくさん撮影しておいた。

丹生川がすごく綺麗だったので眺めながら少し休憩。
南海高野線「九度山駅」

九度山駅構内にある「おむすびスタンド くど」へ行ってみたかったので、九度山駅に来ました。
バイクは駅舎右から奥へ入って行くと駐輪スペースがありました。
おむすびスタンドはホームにありますので、改札を通らずにバイク駐輪場の前からホームへ入って行きます。
おみすびスタンド くど

ようやくここのおむすびを食べることが出来ます。

暖かいのでテラス席で食べても良かったんですが、せっかくなので車両を改造したイートインスペースで食べたいと思います。ちなみに扉は手動です。ちと重たい。

和歌山って言うたら梅でしょって事で、おかかと梅にしました。あとほうじ茶も購入。

これ、メチャクチャ懐かしい。昭和の人ならわかりますよね。
昔、新幹線で駅弁とお茶を買ったらお茶は必ずこの容器でした。針金の持ち手が懐かしい。
思わず容器は持って帰りました。

車両を改造したイートインスペースの中。

連結のところもちゃんとある。

まだ昼なので、乗り鉄してまた紀伊神谷駅まで行っても良かったんだけど、この時点ではまだもう1件まわりたいところもあったので、大阪へ向けてバイクを走らせました。
帰りは京奈和道路を爆走して大阪へ!てか、前にずっとトラックが走っていて60㎞しか出ません😢
最後に・・・
本当ならこのあと大阪市内にも秘境駅があったので、立ち寄ろうとしていましたが、帰りの道中ですごく睡魔が襲って秘境駅より自宅の方が近いのと夜間の方が秘境感あって良さそうなので、もう1件の秘境駅は次回改めて夜間に行くことにして帰ることにしました。今回は紀伊神谷駅だけでも充分に満足でした。
帰宅後、バイクが少し汚れてしまったので、1度寝てから夕方に近くのコイン洗車でバイクを洗った。